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2010年6月9日水曜日

「何故白単を使うの?」「私の人生の結果だ。」

よく友人に問われることがある。
「なんで今のスタンダードで白単なんか使ってんの?」

まあ、そうだよね~。
時代は多色環境。
ジャンド、タップアウト、ナヤ、バントと、強力なデッキは全て多色。
そもそも、多色のデッキを組むように仕向けられている現環境で、あえて単色を使うっていうのは解せない話である。

では、何故私が白単を使うようになったのか。
話せば長くなるのだが、次の2つの時代が大きく影響しているのは間違いない。

1、高校時代:単色全盛の時代
2、MTG復帰期:白からの復帰


まず、1の単色全盛の時代について話をするためには、私が高校生だったころの話をしなければならない。
当時、スタンダードはテンペストブロック、ウルザブロック。
MTGの暗黒時代と呼ばれて、忌み嫌われていた時代ですが、大会など全く縁のなかった私、そんな黒い歴史とは無関係にMTGを楽しんでおりました。
この時代は、MTGの長い歴史の中でも、数多くの単色デッキが開発され、猛威をふるっておった時代でした。

高校1年生の夏あたりに、ちょうどエクソダスが発売され、ラジオでは、ゆずの「夏色」が流れていた頃。
学校の宿題を片付けながら、ノートの隅にデッキの構想を練っていたのを思い出す。
秋にはウルザズサーガ、その後にウルザズレガシーが発売され、同じ高校でMTGをやっている友人たちと出会い始め、ますますMTGにのめり込んでいきました。

この頃私がこよなく愛していたデッキは、緑単ストンピィ、赤単土地破壊、もう少し先に進むと、白単リべリオンなど、全て単色のデッキでした。
単色のデッキが流行っていたというのもありますが、この頃単色デッキばかり組んでいたのはいろんな理由がありました。

第一に、組みやすさ、扱いやすさ。
高校生という時期、校則ではアルバイトも禁じられており(もっともやるつもりも毛頭ないが)、皆金欠の中でMTGをプレイしている状況でした。
NWOなどの5色デッキに憧れもするが、そんなデッキを組む財力など到底なく、手持ちのカードでなんとか強いデッキを組もうと頭をひねっておったわけです。
単色デッキは、価格がリーズナブル、その上、そこそこ戦えるレベルのデッキが構築できる。
色事故も起こらず、初心者に扱いやすいデッキ構成。
駆け出しの高校生MTGプレイヤーにとって、単色こそ正義!!という時代でしたwww。

第二に、資産の限界
当時、一番困ったのは、カード自体が今ほどの数が流通していなかったこと。
田舎の街には専門店などなく、かろうじて近くのおもちゃ屋が少量のカードを扱っているのみ。
当然、すぐに売り切れ、カード資産が全然増えないなんてこともしばしば。
(高校2年生にもなると、通信販売で仕入れるようになり、多少解消されるようにはなったのだが。)
そんな中でデッキを組むわけですから、何個も何個もデッキが作れるわけではありません。
友人たちと相談しながら、皆がデッキを組めるようにカードをトレードして、なんとか1つ2つデッキを完成させていくという作業が行われてました。
A「俺は青単作りたいから、対抗呪文とか、カウンター類がほしいな~」
B「それなら俺がもってるよ。じゃあテラーと交換してくれ、除去が足りなくてさ。」
C「緑のクリーチャーが弱いから、なんかほしいな、だれかいいカードない?」
D「この甲鱗のワームってのが強そうだぞ。そのファイヤーボールと交換してくれ」
こんなやりとりが延々と続いて、ようやくデッキが完成するわけです。
友人全員の資産合わせてなんとかデッキを組むわけですから、当然、その人の色が決まるわけですねwww。
A:青使い B:黒使い
C:緑使い D:赤使い
E:白使い
ってな具合で。

まさに私の高校時代は、単色の時代。
デッキ=単色という意識は、この時代に築き上げられたわけです。
今では、専門店も近くにあり、インターネットでもシングルカードが補充できる時代。
こんな風に、友人たちとトレードして、なんとかデッキをくみ上げるっていう作業はできないでしょうねえ。
あの頃は本当に楽しかった・・・。


次に、2についてのお話。
高校卒業後、愛媛県から神奈川県に出てきて、大学に通い始める。
高校時代の友人たちもそれぞれの進路に進み、離れ離れになったわけだが、私はほそぼそとMTGを続けていました。
だが、当時PWCなど、大会のことなど全く知らない私は、大学にMTGプレイヤーが全くいないことに失望し、結局インべージョンブロックを最後に、MTGから一時撤退することとなる。
大学時代にMTGから離脱したのを、今では後悔している。
あの頃、大会の存在を知っていれば、学生時代に退屈な日々を過ごさずに済んだものを・・・。

時は流れ、大学卒業。
民間企業に就職した私は、横浜、名古屋と3か月ごとに転勤させられ、仕事が嫌になるwww。
名古屋の営業所を実質クビになった私は、次の勤務地を東京に移すこととなった。
東京での仕事場は、非常に居心地がよく(笑)、3か月でクビにされることもなく、仕事恐怖病から解放され、落ち着いて生活ができるようになった。
当時の先輩方には、本当に感謝しています。
私の心を救ってくれて、ありがとう!!(笑)。

で、仕事にも慣れ、上野や秋葉原にはよく足を運ぶようになる。
そこで再開したのが、いわずもがな、MTG。
2007年の出来事である。
丁度、ラブニカブロック、時のらせんブロックあたりか。
「あ~、懐かしいな~。」と思い、カードを眺めておりました。
この頃、ちょうど時のらせんブロックで、昔のカードが採録されたのも、目を引いた原因だったのでしょうか。
サルタリーの僧侶、なだれ乗り、解呪、呆然、稲妻の天使。
過去に使ったカードが、私の記憶を蘇らせました。
「あの頃は楽しかった」と。

カードを眺めて思い出に浸っておる私。
その時、私は出会ってしまいました。
MTG復帰に導いた、あのカードと。

そう、「セラの報復者」
このカードに私は衝撃を受けました。
白白 3/3、飛行、警戒。4ターン目からプレイできるよ。
そんなにびっくりするほどでもないんじゃない?って言われれば、そうなのかもしれない。
だが、当時の私は、このカードに神がかった強さを感じていました。

当時、私が考えていたクリーチャーの強さの条件(インべージョンブロックまでの経験より)
1、飛行、先制攻撃、トランプル、プロテクションのいずれかをもっていること。
2、サイズが3/3以上であること。
3、マナコストが3マナ以下のもの
この頃から、私のビート使いの方向性を匂わせる本質が見てとれるwww。

この条件とぴったりマッチしたのが、このクリーチャーだったわけです。
このカードを見た瞬間に、無性にデッキを組みたくなりました。
ただ、このカードだけではまだまだ不十分でした。
何故なら、「4ターン目までプレイできない」。
この1文があったからです。
いかにマナコストが低いとはいえ、序盤に出せないのであれば、その魅力は半減。
セラの報復者を使うには、ただデッキに入れるのではなく、それが活躍できるデッキをつくる必要がありました。
即座に思いついたデッキタイプは2つ。
クリーチャーを出しつつカウンターを構える、クロックパーミッションタイプ。
もうひとつは、土地が1,2枚でも動く、白ウィニー系のデッキでした。
何かこいつを活かせるカードはないか、ガラスケース越しにカードをじ~~~っと眺めておりました。
お互いに土地を減らす、「爆裂/破綻」、そのデメリットを緩和する「トロウケアの敷石」。
2/2速攻、土地破壊する「なだれ乗り」。
プロテクション赤を持ってる「サルタリーの僧侶」「ヴェクの聖騎士」。
自動再生能力をもつ「聖なる後光の騎士」。
細かいクリーチャーを焼き払う、「紅蓮地獄」。
もうここまで構想が湧いてでてきたら、あとはもうどうしようもなかったwww。
気が付いたら、ダメランも含め、全てのパーツをそろえてデッキを組んでました(笑)
記念すべき、MTG復帰の一日目は、こうして幕を開けたのでした。

その後、mixiのコミュニティ「日曜マジックザギャザリング」を立ち上げ、仲間を募り、月1回ペースで定例会を開き、MTGを楽しむようになりました。
慣れてくると、大会にも出場しはじめ、どんどんMTGにのめり込んでいきました。
大学時代、社会人駆け出し時代の空白の期間を埋めるかのように、それはもう貪欲にwww。

復帰してからというもの、大会で仕様するデッキは、いつも白メインのデッキ。
赤や緑、ときには青なども入ってきたりもしますが、あくまでこの3色は補助的なもの。
主軸となるのは必ず白。
これは、復帰のきっかけをつくった色だからか?自分の本質が白を好むからか?
何故白なのかは説明できませんが、とにかく私は白が好きなんですね。www

単色の時代を経て、数年のブランクがあり、復帰後、白主軸のデッキを多用するようになる。
この2つの時代が、私を白単へ導いたのでしょう。
ただ白単を使ったんじゃない。
白単は私の人生そのものなのです。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

共感できる生い立ちすぎたので記念カキコ
今ではDeath & Tax使いです。

ブラウニー さんのコメント...

コメントありがとうございます。
白好きならではのストーリーですかね(笑)。
Death & Taxはトリッキーでいいデッキですよね。
使うと非常に楽しいです。
自分はどちらかというと、全速力で殴りにいくタイプが好きなので、そっち寄りの白ウィニー使ってます。